聖書と拳法のはざまで

  バイブルには
「右の頬を打たれたら左の頬をだせ」
みたいなことが書かれている。ガンジーの非暴力主義のようなもの。大学の時に、少林寺拳法部で
「自分の大切な人がいるのに、殴られっぱなしなんて馬鹿げている」 
 と教えられた。こっちの方が説得力がある。社会にでて、親になって、生徒指導を重ねていると、真実はその中間にあるような気がしている。
 つまり、話せば分かる生徒と、怒鳴りつけるしかない生徒。両方ができる先生でないと塾として生徒の信頼感を得てきてもらえない。塾は生徒の方に来てもらえないと、倒産で夜逃げになってしまう厳しい世界なんです。