アトムより愛をこめて(4)

アトムより愛をこめて(4)
子どものころ、英語が話せる人が不思議だった。しかし、今は英語が話せる自分が不思議ではない。
四日市高校の生徒だったころ、文系(教育学部)志望の私は東大や京大の意味不明な数学の問題を解ける同級生を見て
「コイツの頭の中はどうなってんねん!」
 と思った。しかし、今は解けるだけでなく教えている。
 ブルース・リーの「燃えよ!ドラゴンを見た時にその技術に圧倒された。そのレベルには達しないものの、少林寺拳法二段をとりジャッキー・チェンの前でヌンチャクを披露する機会はあった。
 確かに、
「スーパー・ジェッターのタイムストッパーは、ジェッターのスピードから見て周囲が止まっているように見えたにすぎない。エイトマンが超スピードで動いているように見えたのは自分たちを基準にしているからで、基本的に同じことなんだ」
 そういう知識は増えた。しかし、当時持っていた正義感や未来に対する、人
間に対する希望は失せた。これは、人間的に上等になったと言えるだろうか?
以前は輝いていた金メダリストもインタビューを聞くとガッカリすることが多
い。学者も同じこと。
 ユタでの生活が楽しかったのは、人を信じることができたからだと思う。