ジャッキー・チェンは本当に強いのか?(4)

ジャッキー・チェンは本当に強いのか(4)
 田舎の中学校から四日市高校に進学するのは毎年2人か3人だった。最初は方言が通じないことでショックを受けた。電車で往復3時間近くかかったのでクラブは出来ず(言い訳かも)勉強ばかりの3年間になった。
 高校二年の修学旅行の時は男子クラスで最悪。九州から瀬戸内海を船で戻ってきたのだけど、デッキはカップルで占領されており私たちは船底の部屋で鬱々としていた。担任の先生が同情して
「家政科の女子を呼んできてやろうか?」
 と言ってくれたのに室長のOは断った。どうも、多くの生徒は適当に恋愛を楽しみ、クラブを楽しんでいるようだった。しかし、それは四日市市内に在住の生徒の特権だと私は諦めていた。
 室長に推薦された時も
「自分は赤面症なので室長なんて無理」
 と発言して勉強以外の仕事は回避した。この時は、現在「京大」で教授をやっているOくんが「本人が嫌がっているのだから認めてあげたら」とビックリするような擁護発言をしてくれた。
 結局、名古屋大学に合格できたのだから良かったのかもしれない。でも、この頃からマイペースと言えば聞こえは良いが周囲との協調性はゼロになっていった。
 明日は、このOくんのことを書きたい。四日市高校始まって以来の大秀才だと思う。なんせ、四高100年祭りで招待されて講演したのだから。