京大模試 2

京大模試(2)
 私は中学生の時に、先生が
「教師は労働者。給料を上げてもらうため明日はスト。授業はありません」
 と言われた。中学生だったけれど、何か違和感を感じた。
 昨日、地元の「員弁中学校」の男性教師が女湯を盗撮しようとして宿泊施設に侵入して逮捕された。中学3年生の担任で、受験直前の時期の生徒の動揺を前に「人間だから仕方ない」と言う人もいる。スゴイ違和感。
 京都大学の受験生を指導し始めて、その違和感が何なのか少しずつ分かってきた。彼らと話すとき、私は過去に出合った教師たちに感じた違和感がない。高校生なのに「人間だから」と言わない。
 私は無条件に京都大学を礼賛するつもりない。それほど、ナイーブではない。京大アメフト部の不祥事も知っているし、ランキングが最低の高校に通うけれど素敵な少年も知っている。
 しかし、教師は「人間だから」ではダメだと思う。私は娘が三人いる。娘の前で「人間だから」とお金を求めてストをし、カメラを担いで盗撮に行けるわけがない。私は生徒の前に立つときに、娘の前に立つのと同じような気持ちがする。
 それは、誰かに強制されたり義務感でしているのではない。
 なぜ、そういう心持ちになるのか本当は分からない。でも、サイエンスの考え方、あるいはクリスチャンの教え、少林寺拳法を通じて教えてもらった精神修養。そういう、古典的なものの見方の影響を受けているように思う。
 平均的な京大受験生には、サイエンスを志す論理的な考え方を持つ子がいる。もちろん、それは長い間の勉強を通じて身につけたものだ。長い勉強時間を確保するためには、遊びたい気持ちやデートの時間も犠牲にすることもあるだろう。
 そういう自制心を持つ子が多い。今の多くの日本人が失った価値観だ。

高木教育センター http://homepage2.nifty.com/takagi-kyoiku/

ブログ      http://takagishigemi3.mie1.net/

フェイスブック  http://www.facebook.com/profile.php?id=100002507170434

動画       http://youtu.be/1ik1xdxZBgU